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つれづれに思うこと、本や映画の感想、菜食レシピなどなど、心のままに書き綴っています。
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 日常生活24時間いつもそうだが、中でも特に職場で人と応対していて気をつけていること。

自分が無意識のうちに相手を傷つけるようなエネルギーを振りかざしていないか。

 私はいわゆる老人病院で働いている。70歳~100歳という高齢の患者さんが多く受診する職場だ。まさに仏教における四苦:生・老・病・死に身近に接する場所でもある。だからまず自分自身が心身ともに健康でなければ勤められないのだが、一方で、働き盛りで特に大きな病気も持っていないということそのものが、病に侵されて悩み、また年老いて弱った人たちにとって諸刃の剣になっているように思うのだ。

 つまりその元気さや健全さが救いや癒しにもなる一方で、(それが決して意図的なものでないにせよ)ふとした意識が病める彼らの心や霊体とでもいうのだろうか、そういったものに目に見えない傷をつける脅威にもなりうるように感じるのだ。

 私はそれこそ神に誓って、彼らが少しでも癒され、一歩でも半歩でも快方に向かうことを心の底から望んでいる。
 
 けれども人対人の関係の中で、イライラしたり、自分にとっては当たり前のことがなかなか理解していただけないことに心底腹を立てたり。酷い時にはふと気が付くと自分が相手を「上から目線」で見下ろしていたり、している。自分のそんな状態に気が付いた瞬間に地獄に落ちてゆくような気持ちがする。もちろんわざとではない。当然あからさまに顔に出しているのではない(はず…)。

表に出す出さないは別としてこういった感情、エゴの動きは確実に相手を傷つけ、害する。そう感じるのだ。相手が老いていたり、病んでいたりするとその分ダメージは大きいだろう。
 表面的な言葉や物腰が親切で丁寧でも、精神の在り方として相手を大切に、対等な人間として尊重していなければ、見えない刃物を振りかざして相手を切り刻んでいるのと同じだ。心の傷は肉眼に見える怪我より厄介だ。与えた側は気が付きもしないことだって多い。
傷つけられたほうは、やり場のない悲しみ、痛みに苦しみ、でもじっと耐えるしかない。時間とともに記憶が薄れ、癒されるのを待つのみである。

 私自身、ある人々から同じように切り刻まれたと感じる記憶がある。何年も前のことなのに、思い出すとまだじくじくと古傷が痛む気がしてその人たちの顔は今もって見るのも嫌だし側にいるだけで身の毛がよだつ気がする。

 でもこの世界のことは因果応報。だから私は一方的な被害者では断じて、ない。つまり、私も誰かを気が付かないままにずいぶん酷く傷つけてきたのだ。これから先、こんな辛い思いを私の周りの誰一人として味あわせたくない。老い、病み、衰えてきつつある人々には特に。

 頭で考えてどうなるものでもないだろう。頭脳が作り出す感情や意識はそれだけで刃物のようなものだ。
常に神を思い出すこと。自分以外の存在と自分を常に同じように大切にし、尊重すること。師の言葉を心に刻み付けること。忘れないこと、忘れないこと。

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 読書が好きな2児の母。平和と調和を願う菜食主義者です。瞑想を通じて精神・霊性・身体の向上を目指しています。
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