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地球温暖化が話題となった。
「いやあ、なんだかんだ言っても、地球温暖化の影響でもしかしたら(老後の心配をする前に)滅びているかもしれないし…」などつい軽く言ってしまったのだ。
相手の方は50歳の男性。バリバリの仕事盛りの精力的な押しの強いタイプ。
「あれも原因は太陽の黒点運動のせいだという説もあるし、何事も背景には経済活動がからんでいるから、鵜呑みにしてはいけないよ」
と逆に諭されてしまった。
内心で自分としては、師の言葉を疑われたように感じて、話の持って行きかたを間違えたなと一瞬後悔したが後の祭り。
「エコバック持ち歩いたりしていますけど、意味ないですかね~??」などとやはり軽く答えて、我ながら頓珍漢なことを言ってしまったとますます自分の対応のまずさにがっかりする。
本当は、人類の活動がおおきな原因として問題になていること、できるだけ二酸化炭素を出さない生活、節約できるものは節約するべきことを上手に話したかった。
せめて、少なくともエコな生活をして、(原因が太陽だろうが人類が石炭を燃やすことだろうが)これ以上温暖化を進めないために努力するべきではないかと思うという内容のことを自分なりに言えればよかったのだ。
なんだか本当に霊的修行者にあるまじき感覚で情けないし、恥ずかしいのだが、相手が年上で、しかもその方に事情があって、たまたま同じ職場でお話させていただく状況にいるのだが、もともと本当ならば私などがお話させていただくなどとんでもないような「象牙の塔」の「雲の上」の方だったため、どこか遠慮してうまく話せなかった。
これが相手が年下だったり、肩書きが違ったりしたら、同じ話題でももう少しリラックスして話したいことが話せたはずだ。
その事実そのものがみっともない私のエゴ、小心と保身、意識が世俗にどっぷりと染まっていること(身体的な年齢とか、職場での立場とか、力関係とかに自身の言動が左右されてしまっていること)を証明している。
思っていることをうまく表現できなかった、というかまずいやり方で話題にしてしまったことと、この自分の中の嫌らしさを突きつけられた、という2点において、私は軽く落ち込んでしまった。
考えてみると、人との交流の中で似たようなことが結構ある。
もちろん人様と話をしていて救われることも教えていただくこともたくさんあるのだ。しかし、有難かったことやよかったことは忘れて、失敗したことや後悔したこと、会話を通じて自分の欠点を思い知ったことの方がずっと苦く心に残る。それが自分の非社交的で、引っ込み思案な部分に直結している感じがする。
でも…。だからこそ、こんな自分だからこそ、この世俗で四苦八苦しながら生きていることが大切なのかもしれない。こうして自分のエゴを自覚して、よりよい私になっていけばいいのだ。いつも師を心の中心に据えて、忘れないでいること。
そうすれば自分は絶対に大丈夫。
こうして安らかな気持ちを取り戻す。神様、ありがとうございます。
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