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つれづれに思うこと、本や映画の感想、菜食レシピなどなど、心のままに書き綴っています。
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 言葉の力というものをよく感じます。

たとえば誰かと話している時の状況から、相手の方の精神状態、性格やものの考え方、声の調子、気候やこちらの体調、仕事や私生活の状態まで、全てのことに影響されるとてもあやふやなものではあるのですけれど。

 別に私個人に対するものではなくても、何気なく読んだ文章の激しく突き刺さるような棘棘した表現や批判的な調子に後々まで嫌な気持ちになったり。

 前後の状況や詳細は省くけれど「巻き込む」という言葉を聞くと、何年もたつ今でもその時の言葉に無神経な知人との不愉快なやり取りを思い出してしまったり。
(その人のこともその人とのやり取りも早くすっかり忘れてしまいたいけれど、本当に稀に記憶が蘇ってくるのです…。逆にいうとある意味御縁が深かったのかもしれません。)

そうかと思うと胸に温かいものが満ち、ときに嬉しくて涙まで溢れてくるような言葉や文章、会話を思い出して優しい気持ちになったり。

 何気ない一言に傷ついたり癒されたり。
暖かな柔らかい言葉も切り刻むような言葉も世の中に満ち溢れている、この情報化社会。
電話もメールもなかった時代には考えられないような距離や数の人と会話をし、顔も名前も知らない、会ったこともない人の文章に触れる機会も増えています。

そうして言葉のその力を、良くも悪くも思い知るたび、
「つむぎだす文章、発する言葉に細心の注意を払おう」
と思うのです。

(なんだかこんな風に書くと管理人のことを「なんて繊細なのかしら…」
と勘違いする方もいらっしゃるかもしれない。
でもそうじゃなくて私自身、自分の何気ない言葉の意味にあとから気づき、激しく後悔することも多いのです。)

それから普段気をつけていること。
「決して自分のことを敏感だ、繊細だ、神経質だと思わないこと」

なぜか?

 自分自身のことを敏感だ、神経質だなどと公言する人に限って
「人の感覚や気持ちに対して鈍感」なことが多いから。

 だって誰だって失言や思いがけず誰かを傷つけていることは有るはずだし、そのことを全く思いもかけず、他者の繊細な部分を感じない、もしくはそういう想像力がないから臆面もなく「自分は繊細だ、敏感だ」などといえるのではないでしょうか。
本当の繊細さというのは自分ではなく、周囲の人が感じるものだとも思います。

自分自身の気持ちと同じように、他者の気持ちも大切に、言葉をきちんと操れるようにありたいものです。
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 読書が好きな2児の母。平和と調和を願う菜食主義者です。瞑想を通じて精神・霊性・身体の向上を目指しています。
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