つれづれに思うこと、本や映画の感想、菜食レシピなどなど、心のままに書き綴っています。
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この世で生きていくというのは何と言うことだろう。
勝手に増殖していく物たち。
勝手に…というのは正確には本当ではない。
自らが自分の意思で購入、採集もしくは手渡されてその場で処分できずに持ち帰ったものも随分有るからだ。
それ以外にも郵便受けの中には送りつけられてくるダイレクトメールや学会誌(これは一応up to dateな情報を得るため大切なものではあるのだけれど、正直読みこなせていないので持て余し気味)勉強会のお知らせ、さまざまな製品のサンプルやらデータやら地域住民向けの配布物、子供を持つ親向けのさまざまな情報…。
家族の人数分それぞれにいろいろなものが家の中に持ち込まれるのだから、放って置くととんでもないことになってしまう。
勝手に増殖していく物たち。
勝手に…というのは正確には本当ではない。
自らが自分の意思で購入、採集もしくは手渡されてその場で処分できずに持ち帰ったものも随分有るからだ。
それ以外にも郵便受けの中には送りつけられてくるダイレクトメールや学会誌(これは一応up to dateな情報を得るため大切なものではあるのだけれど、正直読みこなせていないので持て余し気味)勉強会のお知らせ、さまざまな製品のサンプルやらデータやら地域住民向けの配布物、子供を持つ親向けのさまざまな情報…。
家族の人数分それぞれにいろいろなものが家の中に持ち込まれるのだから、放って置くととんでもないことになってしまう。
なので私はとにかく処分に徹することにしている。手帳に書き写せばいいものは書き写し、パソコンのデータにしてしまえるものは入力し、画像を取り、「思い出」とか「子供が一生懸命…」などと考えていると飲み込まれてしまう。心を鬼…とまではいかないけれど、とにかく捨ててゆく。基準は
「使うか、使わないか」「必要か必要で無いか」のみ。
このように書くとさぞやすっきりと整理された美しい部屋に住んでいるのだろうと思われるかもしれないが、実際はそうではない。もちろん「ごみ屋敷」「汚部屋」といわれるような状態ではないけれど、どうにもすっきりしない。
自分の決意や覚悟とは裏腹に、何故だかやはり物は増殖してゆくのだ。積み重ねられ、散乱し、気がつくといつの間にかある一角を占領して、部屋に雑然とした雰囲気をかもし出す。
歯を食いしばって捨てられるものを処分し、廃棄し、掃除、整理整頓。でもすぐに増殖、散乱。整然としたシンプルで美しい状態と、物が溢れかえり、雑然とした状態の間でせめぎあっているように思える。
私は実は怖いのだ。
ある一定のラインを超えたら、私は物の圧力に負けてしまうかもしれない。
負けてどうなるか。溢れ続ける物たちを前に為すすべなく佇み、あろうことかその雰囲気に呑まれてさらに物を増やすような愚行に出てしまうかもしれない。
そこからまたすっきりとした空間を手にするまではきっと、計り知れない時間と気力と労力が費やされることだろう。
実際にそんなことをしてしまうかどうかは別として、そういう状況を恐れる気持ちが自分の中に存在するのは確かなのだ。
だからテレビなどで時々目にする
「汚部屋」や「ごみ屋敷」の住人を自らの中にも存在する狂気が具現化したものとして、生理的な嫌悪感と共に全くの人事ではないという言い知れぬ恐怖を感じつつ見つめてしまう。
そしてそれは単に家の中や部屋の中のことだけではない。
心の中、精神の在りようもまた同じだと思うのだ。
放って置くとつい否定的な思考やエゴに支配されたつまらない見栄や意地、怒りやむさぼり、傲慢さ、そんもので占められてしまうような気がする。
内面を散乱させるものは容赦なく捨ててしまわなくてはならない。
環境も内面も、すっきりとした状態で生きてゆきたいものだと思いつつ、今日も不要なものを処分する。廃棄する。捨て去って、忘れよう。
「使うか、使わないか」「必要か必要で無いか」のみ。
このように書くとさぞやすっきりと整理された美しい部屋に住んでいるのだろうと思われるかもしれないが、実際はそうではない。もちろん「ごみ屋敷」「汚部屋」といわれるような状態ではないけれど、どうにもすっきりしない。
自分の決意や覚悟とは裏腹に、何故だかやはり物は増殖してゆくのだ。積み重ねられ、散乱し、気がつくといつの間にかある一角を占領して、部屋に雑然とした雰囲気をかもし出す。
歯を食いしばって捨てられるものを処分し、廃棄し、掃除、整理整頓。でもすぐに増殖、散乱。整然としたシンプルで美しい状態と、物が溢れかえり、雑然とした状態の間でせめぎあっているように思える。
私は実は怖いのだ。
ある一定のラインを超えたら、私は物の圧力に負けてしまうかもしれない。
負けてどうなるか。溢れ続ける物たちを前に為すすべなく佇み、あろうことかその雰囲気に呑まれてさらに物を増やすような愚行に出てしまうかもしれない。
そこからまたすっきりとした空間を手にするまではきっと、計り知れない時間と気力と労力が費やされることだろう。
実際にそんなことをしてしまうかどうかは別として、そういう状況を恐れる気持ちが自分の中に存在するのは確かなのだ。
だからテレビなどで時々目にする
「汚部屋」や「ごみ屋敷」の住人を自らの中にも存在する狂気が具現化したものとして、生理的な嫌悪感と共に全くの人事ではないという言い知れぬ恐怖を感じつつ見つめてしまう。
そしてそれは単に家の中や部屋の中のことだけではない。
心の中、精神の在りようもまた同じだと思うのだ。
放って置くとつい否定的な思考やエゴに支配されたつまらない見栄や意地、怒りやむさぼり、傲慢さ、そんもので占められてしまうような気がする。
内面を散乱させるものは容赦なく捨ててしまわなくてはならない。
環境も内面も、すっきりとした状態で生きてゆきたいものだと思いつつ、今日も不要なものを処分する。廃棄する。捨て去って、忘れよう。
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読書が好きな2児の母。平和と調和を願う菜食主義者です。瞑想を通じて精神・霊性・身体の向上を目指しています。
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